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何故私が、福島県飯舘村の牛を南アルプスに連れてきたのか(まとめ)

みなさんこんにちは、私は、NPO法人南アルプスファームフィールドトリップの
理事長を務める。小野 隆と申します。

今回、今までになく多数の方に、私のNPOへの賛助会員参加をお願いするにあたり
私の行っている活動、特に南アルプスまでい牧場プロジェクトについて、広く
皆様にお知らせしたいと思い、このようなサイトで紹介させて頂きました。

すこし長文になりますが、私の想いと、私の活動に少しでもご共感いただけましたら、ぜひ賛助会員になって、活動を支えて下さい。よろしくお願いします。

私は、江戸時代から続く農家の7代目で、この地域は明治時代から果物を栽培し、我が家でも大正時代にさくらんぼを東京神田の市場に出荷していた記録が残っています。学校を卒業して、家業を継いでから、観光さくらんぼ狩り園を中心に、大地を守る会や、生活クラブ生協、八王子生活舎さんなどの消費者組織や、オイッシクスさんなどのネット宅配などで販売を行っています。

平成15年から、地域の若手農家と一緒にグリーンツーリズムイベントの団体を立ち上げ、その後、地域の農産物加工施設を利用したジャム作り体験をきっかけに、地域の農業者向けのジャムの受託製造のしくみをつくり、稼働率に問題のあった加工施設の通年利用を実現、NPO法人化して運営しています。また、地域の南アルプス市商工会と協働して、完熟フルーツプロジェクトに参画、このプロジェクトは経済産業省の農商工連携88選にも選定されました。現在も地域のくだもの狩りと、加工体験・フルーツランチを組み合わせた着地型観光ツアーである完熟フルーツこだわり探訪の運営を行い、JRびゅう商品として、毎年数多くのお客様に南アルプスの果物を楽しんで頂いております。

■ここにいるよ・・・ 飯舘村のふるさとを南アルプスで育む必要性。

今私のNPOでは、福島県飯舘村生まれのメスの黒毛和牛「福ちゃんと島ちゃん」
さらに「島ちゃんの子供の愛ちゃん」の3頭を、南アルプス市内の富士山を望む丘陵状の遊休農地を
柵で囲って飼育し。「南アルプスまでい牧場」と勝手に名付けて飼育しています。

この牧場は将来的にメス牛の頭数を増やし、和牛の子牛を繁殖させて販売する和牛繁殖農家に
なれればいいなと思っています。
そして、わたしたちが南アルプスで牛を飼う一番大きな目的は

「将来飯舘村で畜産が可能になった時に、この牧場から育った飯舘村生まれの牛の系統の子供をプレゼントして里帰りさせる。」

ことです。

現在飯舘村では畜産は一頭も残っていません。村民も村をあげて村外に避難している状況です。
放射線降下物の被害が著しかった飯舘村にいつ戻れるのか、どうやったら戻れるのか。
現在も色々な方が努力し、悩み、活動しています。

飯舘村にとって飯舘牛とは、村のシンボルともいえる、福島を代表する地域ブランド牛でした。

全村避難を決定せざるを得なくなった飯舘村では、その牛を村内で飼い続ける事は不可能でした。
しかし、当初安全な場所として認識されていた飯舘村では、住民の避難時期や、方法について、迅速な対応がとれる状況になく、4月11日に計画的避難区域に指定。政府による計画的避難は5月15日から始まり、6月には9割の住民の避難が完了しました。

並行して、村内の畜産農家で牛の移動や、処分が始まり、最終的に村内に牛はいなくなりました。
その後、福島県内の他の地域で、セシウムに汚染された餌を食べた肉牛からセシウムが検出され全国的に問題になったのを覚えておられるでしょうか?

このため、福島県産の肉牛の商品価値は一気に下がり、平成23年3月当時9万1千頭飼育されていた牛は1年後の24年3月には7万6千頭に減っています。

この牛は2011年3月30日に南アルプス市に移送してきました。震災から2週間後のことです。
TKY201103310451.jpgのサムネール画像
2011年3月11日 東日本大震災が発生。その後福島原発が事故を起こしました。

私の妻は長崎市の出身です。ですから、私とその家族が、原発事故という事象に、普通の山梨県民より敏感に反応したのは当然だったと思います。
放射線被害を避けるもっとも有効な方法は

逃げる事です。まず離れる事です。私たちも子供達を大阪のユニバーサルスタジオジャパンに遊びに行くと言ってすぐに移動しました。どうやら山梨まで心配するほどの災害にはならないと判断して
(それが正しかったのかはわかりませんが)戻ってきましたが、
これは、原発事故が起きる前から、放射線災害の常識としてずっと言われてきた事のはずです。

ところが、飯舘村で飲料水から、高濃度のセシウムが検出されても、国からの指示がない限り
大多数の村民は、不安を抱えながらも移動しなかったのです。

確かに放射線により直ちに生命の危険がある状況でなかったのは事実でしょう。
とはいえ、その時点での村民に、内部被ばくの問題がどの程度認識され、それが、人間だけの
問題ではない事にどれだけの方が気づいていたのでしょう。

たまたま、飯舘村の農業青年と知り合いだった私は、彼と連絡が取れると、出来る支援として、牛の受け入れを提案しました。その際も
「牛の避難という表現は受け入れられない。」
当時安全と説明されていた飯舘村で、牛を避難させるという言葉の響きが、住民にどのようにとらえられるのか
その場の状況を共有できない私には知る由もありませんが、
困難な状況にいるその人たちの感情こそがつねに正しいのです。

私はその時の飯舘村が安全と言われていたからこそ使えたロジックで、牛を連れてくる事が出来ました。
「安全だと言うなら、子牛を、普通に販売している値段で買い取るから売ってほしいと。」
正式な売買契約なら、それを拒める法律もないのです。福島県の畜産課にも山梨県の畜産課にも確認を取り、その当時の状況で、牛を移動する事が合法である事を確認した上で、牛の専門家でもないNPOがこともあろうに黒毛和牛のメス2頭を購入し、南アルプス市に連れてきてしまいました。

私は知っていました。

この2頭が、たとえ、牛舎内で飼われ、水が地下水で、餌も屋内のものを食べていたとしても、
すでに被爆した牛である事を。

私が福島の牛を山梨に移動させることで、放射性物質の何らかの被曝をうけた牛が、多少なりとも内部被ばくしており、山梨に放射性物質を拡散させる可能性が0ではない事に。

当時、福島から避難してきた人に対し、放射性物質がついているからと拒否した方がいたという悲しいニュースが流れましたが、可能性という意味ではその通りかもしれません。しかし、そうやって、避難してきた人や、私が連れてきた牛の運んだ放射性物質よりはるかにたくさんの量の放射性物質が、ここ山梨にも飛散したのです。

原発事故のあと、牛の放射性物質に対する不安を少しでも軽減させる為に、急いで簡易式のガイガーカウンターを購入しました。
IMGP6031.JPG

もちろんこのガイガーカウンターで、牛の内部被ばくが図れっるはずはない事もわかっていました。
あくまで空間線量の目安がわかるだけです。
それでも、私は、ガイガーカウンターの数値が、牛や、牛の排泄物に近付けても、ほとんど変化がない事を確認し、なおかつ山梨の空間線量と変わらない事に、一応安心していたのです。

すでに山梨はクリーンではありません。関東近辺の中では山に囲まれたおかげで、非常に降下量が少ないとはいえ、まったく0ではありません。だからこそ、わたしは、ほんのわずかの期間被曝した牛による山梨の土壌汚染についてほとんど心配せずに済みました。

さらに、生物的な半減期により、たとえ内部被ばくしていたとしても、体内に取り込んだセシウムも3か月もすれば半数は排出されます。だから3か月の10倍、約3年弱たてばまったく痕跡は見られないはずです。

私は今回のセシウムを中心とした放射性物質の飛散について、人々の気持ちの区切りがつく時期があるのではないかと予想しています。例えば、原発事故当時、福島で被爆した人がどの時期に戻ってくるのが良いのかの目安です。

ひとつの区切りは3年です。理由は、セシウムの生物学的半減期が3カ月だからです。
http://radi-info.com/q-1219/ セシウムの生物学的半減期
セシウムが体内に入っても約3カ月で半分は体外に排出されてしまいます。3か月の2倍の6ヶ月後には4分の1に、3倍の9ヶ月後には8分の1になっています。10回繰り返した30ヶ月後には元の量の1024分の1になるはずです。もとの1000分の1になるということは、いい方を変えると、99.9%のセシウムが体外に排出してしまっているという意味です。だから、被爆時に取り込んだ放射性物質は、その後、放射性物質を取り込みにくい環境で過ごしていれば、まったく被ばくを受けていない方と同じ状態に戻ると考えていいからです。
もう一つ、3年後とという目安に理由があります。
それは、飛散した放射性のセシウムには2種類あり、その2種類のセシウムの半減期が違うため、ちょうど3年で、飛散したセシウム量は、半分に減る事が分かっているからです。
1つは半減期が約30年のセシウム137
もう一つは半減期が約2年のセシウム134です。
飛散した量はどちらも同じくらいといわれています。だとすると、それを計算してみると
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/details/Cs137vs134.html
(こちらのサイトに計算式が載っています)
ちょうど3年後に、(何にも除染しなくても)放射性セシウムの総量は半分になる事がわかります。

何か引っかかるものがありませんか?

政府の除染計画の目標値、
http://www.env.go.jp/jishin/rmp/attach/josen-area_p-iidate.pdf
環境庁が飯舘村の除染計画における除染目標の値として次の一文がありました
特別地域内除染実施計画
(飯舘村)
平成24 年5月
(平成24 年11 月一部改定)
環境省 3ページ目
② 追加被ばく線量が年間20ミリシーベルト未満である地域については、次の目標を目指すも
のとする。
ア長期的な目標として追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト以下となること。
イ平成25年8月末までに、一般公衆の年間追加被ばく線量を平成23年8月末と比べて、放射性
物質の物理的減衰等を含めて約50%減少した状態を実現すること。

2年後に50%減になっているようですね。でも、大金をかけた除染作業を行わなくても、平成26年8月には、放射性物質の物理的減衰(だけ)で 50%減少します。

つまり人間の手によって2年間努力しても自然の1年間分を短縮できる程度の仕事で、なおかつ努力目標だから、スケジュールが予定より遅れるなら、何もしない方がましという政策です。

もちろん1日でも早く放射線の減少を願う気持ちはよくわかりますから、除染は無駄という事は決してないと思います。住民の住む環境はなるたけ早く除染すべきだと思っています。

とにかく、3年後には、2011年3月に汚染された地域の放射性物質は半分に減少し、当時体内に取り込んだ放射性物質は99.9%が排出されてしまっています。 ですから、震災から3年後の平成26年4月あたりに、人々の気持ちが、戻るかどうするかで揺れる時期が来るはずです。

次のステップはセシウム134が99.9%消滅する半減期2年の10倍つまり20年後

この時期には人々は放射性物質と何らかの折り合いをつけて生活をしていかざるを得なくなっている
はずですが、このへんから、リスクと、生活の確率論の問題になっていくはずです。

例えて言うと、 山には今でも熊が住み、スズメバチも襲ってきます。だから、登山すると言う事は、それらの危険に遭う確率が高く、運悪くそれらの動物に遭遇すると入院したり、死んでしまう事もあります。
これは、放射性物質の残る山に入っていくと、低線量の放射線が体内の染色体を破壊してガンになる恐れがある。というのと実質的には同じ事を云っています。

上の例では熊が怖いから山には行かないという人も、熊なんてめったに来ないから大丈夫だと言う人とどちらもいますが、どちらの人にとっても熊は安全とは言えないはずです。でも熊に対する対処法を知っていると言う人は、その危険を避ける事ができるので、あえて危険な山でも入っていきます。

それでも、熊がお腹をすかせている時期や、小熊を育ててメス熊が気が立っている時期にあなたはあえて山に入りますか?必要がなければ入らないと思います。

射性物質がどんどんはじけてどんどん安定した物質に変化していく時期がその最初の20年間にあたります。セシウム134の半減期が2年というのは短くていいような気がしますが、セシウム137にくらべて15倍も崩壊して、放射線を発生しやすい物質だということでもあります。
それから先は30年かけて時々はじけて安定化していくセシウム137だけの世界になります。

山に熊は住んでいるけど、そんなにしょっちゅうは見ないよ

という状態になり。300年もたつと(つまり半減期30年の10倍です)99.9%のセシウムは消滅します

熊の話で言うと、年々頭数が減ってゆき、300年後には(日本オオカミのように)絶滅するということです。

長々話してきましたが、この科学的な事実があるからこそ

「南アルプスで飯舘の牛を飼う事に大きな意味がある」と思っています。

私は時間という大いなる除染システムを使って、飯舘村のシンボルを残します。

■何故私が、福島県飯舘村の牛を南アルプスに連れてきたのか? 想いと行動

何故、山梨で牛を引きとる事にしたのか?しかも牧場経験もないのに。
れは、今回の福島の原発被害の問題が他人事ではなかったからです。

今回の三陸沖での東日本大震災の発生が、もし東海沖で起こったとしたら・・・?
静岡の浜岡原発が福島原発と同じ事態に陥っていたら・・・?

ここ山梨は、現在の福島と全く同じ状況にあったかもしれないのです。

土地が使い物にならなくなった百姓の気持ちは、自分に置き換えれば痛いほど胸に刺さります。
その当時の私にできること、それが私の場合、飯舘の牛を山梨で飼い、福島原発の事故の証人をきちんと担保しておく事だったと思っています。

それと同時に、国のシステムを疑う気持ちもあります。かつてこの国は広島・長崎に落下した原爆によって被害を受けた人々を、米国の意向を受けて、被害者を救済するのではなく、被害者を記録するために病院を機能させました。

水俣病の被害がチッソの工場排水にあるらしいと疑っても、人々の健康を守る事よりも、国の賠償をなるたけ減らし、時間をかける事の方に熱心でした。

政治の仕組みが変わらないままに事件が起きるなら、今回もそうなるに決まっていたのです。

とするならば、原発の事故が発生して、放射性物質を被曝した家畜の扱いはどうなる事でしょう? しかも数年前には宮崎県で大規模な口蹄疫が発生し、当時宮崎の畜産の未来の為に殺処分しないでほしいと願った民間の飼育する種牛を、法律の名のもとに全頭殺処分してしまった例もあります。

もしかすると、今回被曝した牛たちは、殺処分の名のもとに、その存在を抹殺されるかもしれない。そうなると、この福島の事故によって被害を受けた家畜たちの存在も抹殺されブランド牛の飯舘牛を輩出した飯舘村の畜産の歴史も抹殺されるのではないか。

だからこそ、法律のしばりなく移動可能なこの牛を南アルプスで育てることで
後世の社会に、放射線被ばくの被害を受けた家畜の歴史を後々まで語り継ぐ事が出来るのではないか?

同様に、あれだけ大量の放射性物質の降下を受けた飯舘村で畜産を再開するのは2年や3年というスパンでは難しい。

でも

300年後なら?

300年前は江戸中期、そんな時代の事を今に引き継ぐ事はそう多くありませんそれでも歴史として残っています。

会社の寿命は30年、年号だって50年で移り変わります。
でもお百姓さんは300年変わらず畑と共にあるはずです。

私が農家だからできる、農家なりの、放射性物質の解決法
それが時間だったのです。

南アルプスで未来の福島に残せる贈り物
それがこの飯舘の牛とまでい牧場です。

ひとつの考えとして、放射性物質は、降下した土地の時間を奪う物質ではないかと思っています。

山梨は放射性物質に汚染されましたが、30年で大阪と同じ程度にクリーンな土地に戻ります。
同様に、東京が山梨と同じ環境になるには30年かかります。

つまり東京は山梨の30年分の時間を奪われてしまった土地という事です。

同様に福島は、お隣の茨城の、実に165年分の時間を奪われてしまいました。

ちなみに飯舘村が茨城と同じ時間に戻るには約100年かかります。
飯舘村が山梨と同じ時間に戻るには約300年かかります。

ということならば、山梨は、飯舘村が失った300年分を今現在、守り続ける事ができますから
山梨の南アルプスで牛を飼う事で、飯舘村で今取り戻そうと必死になっている時間を、
ゆっくりと待ち続ける事が出来ます。

飯舘村の人が、茨城県と同じ100年の時間を我慢して、畜産を再開するのか
それとも、徹底的な除染で失われた100年を20年に短縮して
飯舘牛復活に動くのか・・・

それは私にも判断は付きかねます。

それでも、

「ここにいるよ」
「飯舘村であなたと一緒に村の災難を体験したあの牛の子供がここにいるよ」

南アルプスで、多くの人の支援のもとで暮らし続ける事が可能なら
いつかきっと飯舘村の人が、自分の誇りであった飯舘牛を復活させようと思った時に

ここ南アルプスにその血統の牛が住み続けていたとしたら

乳を飲む愛ちゃん.jpg













それはとっても素敵な事だと思いませんか

そしてその時、私たちは、止まった時間が動き出す飯舘村の畜産農家の為に
よろこんで、私たちの育ててきた牛を里帰りさせようと思うのです。

私は、未来の飯舘村の為の種を残しておく事が出来たと思っています。
でも、その種をずっと温めておくのは大変な事です。

それでも、その未来の希望を残しておける幸運を南アルプスが持っているとしたら
そして、みなさんがその希望をつなげる大きな力に

それも赤字国債を発行してでも実現した公共事業ではなく
あなたのお財布から3000円を払い込むことで実現する。将来実現可能な夢の未来の為に

あなたも私のNPO法人の賛助会員になる事を少しだけ前向きに考えて下さい。

あなたの3000円は、私のNPOをつなげるためのお金ではありません

3000円を使って、未来の飯舘村の希望をつなげる 志のお金 志金です。

原発の事故により放射性物質がばらまかれた世界

その現実の世界をただ不満と、批評で自分の時間を使うのではなく

未来の世界をより良くし続け、自分達の子供・孫たちに
きちんと原発や自身に立ち向かった事を伝えられる大人になるために

私たちのお願いする3000円の活動資金を、私たちに預けて欲しいのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

現在私たちの牧場は南アルプスまでい牧場と名付け、牛のスタッフは、昨年10月に農業法人として独立し、青空生産農場として、私たちの牛の管理をお願いしています。

また、2頭の飯舘からの牛「福ちゃん・島ちゃん」の名付け親である
地元山梨のシンガーソングライターである岩崎健一さんと、仲間たちを中心に
「福ちゃん島ちゃんの夢の大作戦」として、精力的なボランティア活動を続け、牧場の整備や、牛の飼育をサポートしてもらっています。

機会がありましたら、ぜひその目で、南アルプスで暮らす牛を見に来て下さい
までい牧場の 住所は 南アルプス市湯沢御前山2613

重ねて、皆さまよろしくお願いします。

山梨県南アルプス市西野1202
npo法人南アルプスファームフィールドトリップ 理事長 小野 隆


NPO法人賛助会費申し込みはこちらから


http://marmellata.shop-pro.jp/?pid=53425084
想いを1枚にまとめたリーフレットはこちらから
25賛助会員募集と理事長の想い
rijicyou.pdf サイズ 801k) 


H25年度の募集関係の書類をまとめた、募集セットのpdfファイルはこちらです。

H25賛助会員募集セット(h25bosyu_set.pdf サイズ54M)

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